活字中毒者は本の山で一人悩む
とにもかくにも、本が。
本が部屋を占領している。
一ヶ月に少なくとも10冊は読む自分にとって、これは回避できない問題だ。
本棚に入りきらない漫画や雑誌や文庫本やハードカバーが
「人間は起きて半畳、寝て一畳。でしょ?」と、日夜無言のプレッシャーをかけてくる。
ワンルームの部屋に本棚が3つ。
それに収まりきらない本たちが、部屋の片隅で威圧感を演出している。
しかし、本を売ることできない。
自分が金を出して買った物を転売するという行為が苦手だ。
これは、過去に自分が古本屋でバイトしていたせいだと思う。
ナイスセレクトな文庫本30冊を重たそうに持ってきたお客さんに
「えーと、全部で300円ですね」と非常な言葉をかける仕事。
本好きの自分として、これほど辛いこともない。
お互いに本好きであるはずのに、こんな仕打ちをするしかない自分。
だから、たまに「おっ!これは!」という本には勝手に高値をつけて、店長に怒られたりした。
モノの価値なんて、買った本人がつけるしかない。
例えばヴィンテージギターがそうだ。
塗装が剥げ、枯れた味わいを全身から醸し出す『芸術的な一品』も、
見る人によっては「なんだか煤けて汚いギターですねえ」ってなことになるかもしれない。
モノの価値は、儚い。
だからこそ、自分が決めた「価値」に関しては、多少なりとも執着すべきではないだろうか。
市場の原理とは乖離した物語がそこにはある。
そういった塩梅で、処分方法は「断腸の思いで捨てる」しかない。
しかし、捨てるのは難しい。本当に難しい。
処分すべき本やCDの山を眺めるたびに
「いや、これはもう一回読みたいな。むむ、このCDもいつの日かどうしても聴きたくてたまらなくなる日が来るかもしれない。」
と逡巡している間に居残る。
結果、居残ったそれらが「フフフ・・・」とほくそ笑みながら部屋で幅を利かせるのであった。
さて解決策として浮かぶのは
1,大きめの本棚を買う
2,とにかく捨てる
3,開き直る
の3つだが、3つ目の案が最短距離かつ、気持ち的にも楽な気がして、結局は片付かないのだった。
それにしても、雑誌の特集なんかで載っている「お洒落な部屋」には、なぜ本がないのだろう。
読んだ端から捨てていくのだろうか。相当に収納上手なのだろうか。
お洒落は難しい。
それと、本棚を見ればその人が分かるというが、筒井康隆、中島らも、東海林さだお、諸星大二郎、吾妻ひでおやらで占められた、現在のメイン本棚を見て人はどんな評価を下すのか。
気になるところではある。
そして、今日も本を読むのであった。
筒井康隆「大いなる助走」